🌄 Resonary Net という組織について

Resonaryは 英語のResonateからイメージした造語で、共鳴・響鳴するというようなイメージです。資本主義の最終形とも思える市場原理主義が世界を席巻しだして、はや30年ぐらいでしょうか。耳障りの良いカタカナキーワードとともにいかにもそれが正義のようで、そのトレンドにのることが当たり前のように捉えられています。この組織の代表の私は思います、明らかにそのトレンドは人々を確実に不幸な方向へ導くものだと。

戦争はもちろん、私は腕力を使った争いを憎みますし、言葉の暴力さえ無意味なものが多いと感じています。自身の正義を押し通して他人の気持ちを踏みにじることになんの意味があるのでしょう?それは単に自尊心を維持するための、強者と勘違いしている人の貧困な精神性の反映ではないでしょうか?

弱肉強食・勝ち組負け組・インフルエンス力・規模の拡大しか目指さない資本主義の王様のような企業。なぜ人々は一般的に思われている成功を勝利・強さ・資金力と思い込んでいるのでしょう?ただの思い込み、もしくは洗脳すらされているのではと感じます。

誰かから昔聞いた話ですが、日本では(日本だけではないと思いますが・・)、村で障害を持った子供が生まれると、その村人はその子を神から授けられた宝物として捉え、彼らから何らかを教わっていたそうです。

現代はどうでしょうか?弱いというジャンルにカテゴライズされること=負け と定義されて、それが正しいと思っている方が大半ですよね?

たまたま生まれ持った才能か、後の努力によって、いわいる強者に近い位置にカテゴライズされるところまで上り詰めた人々は、弱い人にカテゴライズされることなど見向きもせず、ひどい場合は蔑みさえします。人によって生まれ持った資質が異なるのは当然ですが、与えられた環境・天性の能力の大小の差はあれ、その状況の中でどれだけ努力したかが重要であって、人より圧倒的に秀でることが正義ではないでしょう。たまたま他者より秀でることが出来たなら、彼らの経験を、例えば努力しているけど思うように望みを叶えられない人に伝えてあげたり、金銭的、心理的に余裕があるのなら、弱者にカテゴライズされる人の気持ちを理解し、適切なサポートをすることが、本来の人のあるべき姿だと、私は感じます。

強いから素晴らしい、弱いから無能、なんて貧困な価値観は捨て、互いが互いの長所を認め合い、もし知り合った誰かのことを、あなたが素敵だなと感じて、その人が困っていれば、助けたり、時には相手のことを思って厳しい言葉を投げかけ、互いに成長するような環境を私は好みます。

もちろん、持って産まれた能力は違いますので、単純に年収とか大学名とか、勤務先などで他者をフィルターするのではなく、その人がその人に与えられた環境でどのように苦労を重ね成長してきたか、これからも成長しようと努力しているかが重要だと思います。

日本では 類は友を呼ぶ ということわざがありますが、世界中に似たようなことわざは存在します。波長が合い、お互いを高めあえるような仲間と切磋琢磨し、共鳴しながら、互いが互いの良いところを認め合えるようなネットワークになればという意味で、Resonary Netを設立しました。

私自身まだまだ若造で未熟者ですが、これからも努力をし続け少しでも昨日の自分より成長しようと努力し続ける所存です。今後、私たちと共鳴できるような方々と出会い、その方たちと協力して、自分たちの利益を優先するのではなく、楽しい社会を支える一助となるような貢献が出来たらと願っています。

2026/05/23 Resonary Net 代表 三戸 宏